83 木泊部落跡探索
第83回伊良部探検隊
日時 2012年12月29日(土)15時半~17時
場所 木泊部落跡(下地島通り池入り口付近入り江)探索
前回の山座アブ探索に続いて、安谷屋昭先生(前文化財保護審議委員長)が昨年11月ご来島・ご案内の折、教えていただいた場である。
木泊部落は今から240年前の1771年の明和の大津波で壊滅したとされる下地島の部落
津波の高さは推定30㍍、死者は推定部落全員の43名(宮古全体での死者は推定2543名)
部落の場所は特定されていないとの事だが、
佐和田出身の琉球大学の渡久山章先生が作成された下地島方言地名地図に、キドマリの字句があったことから、安谷屋先生のご指示で、11月にご一緒に探訪した。
通り池入り口の細道の先の長く美しい入り江の奥の海岸がその地の候補との事。
今後、部落跡の痕跡があるかどうか等の調査が必要との事で、今回の探検隊では、その地の探訪と、最小限の探索を行いたいとの目的で行った。
年末という事もあり,参加者は3名だったが、手応えのある探訪・探索が出来た。
下地島方言地図
キドマリノウツノバタ
が木泊部落跡
と推定されるとの事。(クリックで地図拡大)
←美しい入り江の姿
この入り江と対面して背後の雑木林の中を、部落跡を求めて探索した。
石積みのスペース3箇所に出会った。
御嶽(うたき)風の場↓ 塀の様の石積みの場↓(高さ2~3m長さ約50m)
←亀の形の石積みの場(右が頭)
確かに、自然でない石積が現存していた。
この日、安谷屋先生は急用で来られなかったが、近日中、沖縄本島からも専門の先生が来られて、調査の予定との事。
その結果は、その時報告したい。
木泊部落跡と特定できれば、その史跡としての意味は大きい。
この入り江、深く切れ込んでいて、
空間としても、とてもいい雰囲気である。
伊良部島の新たな自然スポットである。
日時 2012年12月29日(土)15時半~17時
場所 木泊部落跡(下地島通り池入り口付近入り江)探索
前回の山座アブ探索に続いて、安谷屋昭先生(前文化財保護審議委員長)が昨年11月ご来島・ご案内の折、教えていただいた場である。
木泊部落は今から240年前の1771年の明和の大津波で壊滅したとされる下地島の部落
津波の高さは推定30㍍、死者は推定部落全員の43名(宮古全体での死者は推定2543名)
部落の場所は特定されていないとの事だが、
佐和田出身の琉球大学の渡久山章先生が作成された下地島方言地名地図に、キドマリの字句があったことから、安谷屋先生のご指示で、11月にご一緒に探訪した。
通り池入り口の細道の先の長く美しい入り江の奥の海岸がその地の候補との事。
今後、部落跡の痕跡があるかどうか等の調査が必要との事で、今回の探検隊では、その地の探訪と、最小限の探索を行いたいとの目的で行った。
年末という事もあり,参加者は3名だったが、手応えのある探訪・探索が出来た。
下地島方言地図
キドマリノウツノバタ
が木泊部落跡
と推定されるとの事。(クリックで地図拡大)
←美しい入り江の姿
この入り江と対面して背後の雑木林の中を、部落跡を求めて探索した。
石積みのスペース3箇所に出会った。
御嶽(うたき)風の場↓ 塀の様の石積みの場↓(高さ2~3m長さ約50m)
←亀の形の石積みの場(右が頭)
確かに、自然でない石積が現存していた。
この日、安谷屋先生は急用で来られなかったが、近日中、沖縄本島からも専門の先生が来られて、調査の予定との事。
その結果は、その時報告したい。
木泊部落跡と特定できれば、その史跡としての意味は大きい。
この入り江、深く切れ込んでいて、
空間としても、とてもいい雰囲気である。
伊良部島の新たな自然スポットである。
Posted by ちかさん at
◆2013年01月14日02:03
│いらぶ探検隊
この記事へのコメント
木泊かもしれない入り江、とても美しいですね~!
惹かれます(^^)
是非、行ってみたいです。
次回は参加できますよーに。。。
お疲れ様でした。
惹かれます(^^)
是非、行ってみたいです。
次回は参加できますよーに。。。
お疲れ様でした。
Posted by キッチンじゃからんだ at 2013年01月22日 22:03