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直なる心

宮古毎日新聞 遊楽20   2012・3・29掲載予定  
                 直なる心            近角敏通    
 「直(すぐ)なる心は明けく輝く心ぞ」(『宮古史伝』11頁 慶世村恒任著)
風水のよい地に天の岩柱が投げられ成った宮古島に、人の世を建てる命を受けた古意角(こいつの)の神が天下る時、行く手に立ち塞がる鬼共に言い放った言葉である。
神は鬼共を護衛の神共が力で征伐する事も「悪」とした。
と、鬼共は、神の心をあらわしたので、「皆うごなわり(集まり)て天下りましました。」とある。
宮古島の元々に、明るく輝く直なる心がある事は、誠にありがたい事である。
その心を自然の内に、人の内に、食の内に感じてきた14年間であった。

 生まれてから20年間は学生期で、幼さと気負いの中にいた。
それから40歳までの20年間は「共に学ぶ」中にいた。
障がい児と出会い、心の殻がはらわれ、学校の教員になり、共に焼き物を作り、共に劇舞台を作り、共に自然の中を歩いた。
40歳から、やがて還暦を迎える来年までの20年間は「働く」中にいた。
普通学級4年間で子ども達と共に文学を味わい、学校を辞め、広い世界に飛び出し、1年後、この島に流れ着き、島の自然の恵みのもとで、働かせていただいてきた。
 今、これからの20年は、過去の二つの20年間を統合する時だと思っている。
すなわち、「共に働く」。
今まで培ってきた、ハーブの栽培・食品加工・工芸加工の仕事。自然探訪・美化の活動。これらを障がい者とも共にしていくという事である。
 
 この2月、兄を亡くした。苦学して理学博士号を得た、優しい人だった。
その兄と、老齢になった父・母を見舞った昨年の暮れ、宮古に帰ってきた自分が少し変わっていた。
ある決意をしたのだ。
コミット!やりきるという事。
畑のハーブが食材をいかすおいしい料理を作る事。
畑のハーブを漉(す)いて紙を作る事。
子どもと共に漉く事。
旬をのがさずハーブをペーストにする事。
ローゼルのコンフィ・シロップ加工の極意を妻から学ぶ事。
うまいお茶を入れる事。
ハーブ香炉を炊く事。
うまいハーブ酒を作り味わう事。
子どもと遊ぶ事。
妻の染めを観る事。
小学校の新聞を丁寧に作る事。
海岸や入り江沿いの東屋・遊歩道美化の活動を放課後教室の子ども達・大人と共にする事。
島を訪れた方の心を感じながら、自然を探訪し、ハーブ料理を味わっていただく事・・・
直なる心









この前、いらした方からのメール。
「伊良部は不思議な場所です。こんなに魅了されたのは20年以上前に来た、あの頃の沖縄以来です。土地の気を感じ、祈りを捧げる時間をいただきました。」
素直に、力に頼らず、自然にいかされ、人びとが十全に生きあっていく心は、日本や世界の所々で明るく輝いている!
今が時代の転換期である。
漲水神社に祀られた宮古島の守護神・古意角の神の言葉をかみしめて、暮らしていきたい。
「直なる心は明けく輝く心ぞ」。


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この記事へのコメント
直なる心は明けく輝く心ぞ

いい言葉ですね。ちかさんのこれまでの人生、そして今。充実しているようで

うらやましいです。
Posted by 西山正子 at 2012年03月24日 07:39
時代の転換期に宮古島とつながっている♪

ちかさんの言葉はいつもまっすぐ心に飛び込んできます

でも、今このときにこそ、直なる心

はーい! 待っていました!!
Posted by あっちゃん at 2012年03月24日 08:27
この日本の混迷期に、本当にこの心で生きたいですね。
「直なる心は明けく輝く心ぞ」

私の先生も、早期退職して障碍者と共に生きておいでです。
お時間のある時に、見て頂ければ嬉しいです。

宮嶋眞一郎先生の「共働学舎」。今は息子さんたちの世代が頑張っています。
信州と北海道と東久留米市にあります。
http://www.kyodogakusya.or.jp/
Posted by tama at 2012年03月24日 12:32
先日はお忙しいところ、お邪魔させていただきありがとうございました。
ハーブと一口に言ってもいろいろな種類があり
いろいろな味やにおいのものがあることを勉強させていただき
感謝しております。

先日おっしゃっていた原稿が、今回掲載のものですね。
私もそろそろ「知命」といわれる年齢に差し掛かってきますが
私の「知命」は何なのか、まだつかみかねています。

伊良部島、またいってみたい場所です。
Posted by OnsidekickRecover at 2012年03月24日 16:44
☆ あっちゃん

うれしいですね。
そういうつながりって。
はじめの原稿では、「宮古島は今の日本・世界に明るく輝く光を発している」の意で終わっていたのですが、「素直に、力に頼らず、自然にいかされ、人びとが十全に生きあっていく心は、日本や世界の所々で明るく輝いている!」になりました。
その心は、各地にも確かにあって、それが、響きあうようにおもったからです。
はたして、そのように、コイツノの言葉が受け止められて、やったーって感じです。
Posted by ちかさん at 2012年03月24日 23:57
☆ tamaさん

言葉、受け止めて下さって、うれしいです。
時代を貫き、今に届く言葉ですよね。

宮嶋眞一郎先生には、東京での報告会や渋谷松村幼稚園(次女の幼稚園)での日曜講話や長野の共働学舎でお会いした事があります。
再び、見つめてみたいと思います。

tamaさんの先生なのですね。
Posted by ちかさん at 2012年03月25日 00:15
☆ OnsidekickRecoverさん

先日は短い時間でしたが、出会えて光栄でした。
東屋でお話した時、蚊に刺されませんでしたか?
もしそうであれば、別れ際、畑に帰って、お見せしたアロエベラを塗ればすぐ、かゆみは解消されるのに・・・
話ばかりで、自分の配慮の足りなさを悔いました。
あれから小学校の新聞つくりに集中し、どうやら、卒業式前に配れました。
コメントいただけて、ありがたいです。
「五十にして天命を知る」ですね。
自然の恵みをどういかしあっていくのか、動きながら、思案している所です。
お医者さんの話も、聴かせてくださいね。
Posted by ちかさん at 2012年03月25日 06:36
☆ 西山正子さん

この言葉、ポジティブですよね。
言葉の前から記すと「正しきは天の下地の上いずくにも闇には逢わじ、・・・」とあります。
私の祖父常観の「一度光観たる以上は、おのおの、相食(は)む代わりに、相照らす事ができるのである」とも、重なってきます。
私は22歳の頃、心がやっと、素直になって、自然や人や自分の内に光が見えたように思います。
果たして、今がそのような転機になるのか、やはり、そのまま生きてくしか、ありません。
くしくも、この1月から、5年日記をつけ始めていて、今のところ、続いています。
みんな、自分の人生を生きているのだと思います。
「直なる」がいいですね。
Posted by ちかさんちかさん at 2012年03月25日 06:41
ちかさん
東京に帰ってきました。

「コミット・やりきる」
ちかさんのこの言葉に奮え立ちました。
最近、社会的責務を背負って激しい議論になるとやりきれない思いになっていましたが、議論とはプロジェクトを成功に導くための味付けの要、まさに私の料理に使うちかさんのハーブペーストからの学びそのものです。
「やりきる」の文字にやりきれない思いから「やりきる」に今、スイッチが入りました。
佐和田さんが4月に懇親会をと語ってくださいました。久しぶりに加工施設でのパーティーなど、頭に浮かびます。

waka
Posted by waka at 2012年03月26日 00:32
☆ waka さん

激しい議論は時に必要です。
事をいかす為に。
その意味ではハーブですね。
紅芋で 「やりきる」とは、味と色をいかした料理・加工品作りをやりきる。
それから、農家が相応の所得をきちんと得られる事業という事です。
今までに、あまりにも農家が裏切られる事業が多かったのです。

加工施設でのパーティーがあるとすれば、
それらがクリアーされる見通しの下であろうと思います。
そのためであれば、協力します。
Posted by ちかさん at 2012年03月26日 21:02
なんと…宮嶋先生をご存じなのですね。長野にもいらしていらっしゃる!
賑栄塾だけでなく、共働学舎とのおつながりもあったとは。
人と人とのつながりに、嬉しさを感じています。
Posted by tama at 2012年03月27日 10:19
☆ tamaさん

賑栄塾が伊良部で行われたのは2005年でした。
皆さんで自然の場を巡礼しました。
軍事化の動きのお話もしたと思います。
その直後の、基地誘致の大きな町議会決議と住民蜂起による決議白紙撤回
自然の神様の存在を感じた奇跡でした。
今思うと、その心は、古意角の神様が言われ貫かれた心そのものでした。
「直なる心は明けく輝く心ぞ」
賑栄塾のタイミングは的を射ていました。
今も、ミサイルにはミサイル配備の動きが宮古島でもあり、古意角の神の心を踏まえる必要を感じます。
コラムで書いた、私の、物作りと福祉の仕事の統合。
これも産みの苦しみの過程にいて、ふと、この心、この言葉を踏まえることだと思っているところです。
宮嶋先生の共働学舎は次世代の力も得て、各地で営まれているのですね。
経営の成り立ちの仕組み、その精神にも学びたいです。
Posted by ちかさん at 2012年03月29日 04:15
2005年、その頃私は、職場を離れることが難しく、行けませんでした。
でもその後、最後の仕事が沖縄での戦争をめぐる対談(取材)でした。

私は育児記事に関わり、リタイアしたら乳児院か養護学校でボランティアをしたいと、
仕事をしながら保育士資格を取って準備をしていました。

でも、子供が一時期、精神疾患にかかり、すっかり回復したものの、
私は家族会で出会った方々とのお付き合いが続き、会の仕事を今も続け、
心の病気を学校教育でして、予防や早期治療につなげたいと、そちらの道へ。
思うようには行かない人生ですが、その中で今できることを精一杯していきたいものです。

沖縄の魅力に、ちかさんも、加藤彰彦氏もすっかりはまりましたね。
本当に、人生は面白い。いつかお会いできますように…。
Posted by tama at 2012年03月31日 11:34
☆ tamaさん

このまえ、ネットで野本さんのインタビューを観ました。
生き残る人は、愛する人、やるべき仕事がある人と言っていました。
tamaさんは仕事を、コミットしてやってこられた方なのですね。
いつか、お会いしても、話聴かせてください。
Posted by ちかさん at 2012年04月01日 23:43
 
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